法隆寺 世界 最 古 | 【奈良/世界遺産】法隆寺/創建1400年世界最古の木造建築 – Horyuji Temple In Nara, Japan / World Heritage Site – 147 개의 자세한 답변

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法隆寺は、創建千四百年を超える日本屈指の古寺。現存する世界最古の木造建築で、世界文化遺産となっています。また、聖徳太子(厩戸王)ゆかりの寺院で、多くの謎に包まれた寺でもあります。
今年、令和三年(2021年)は聖徳太子、千四百回忌にあたります。近年、話題の多い厩戸王こと聖徳太子を偲び、雲行きの怪しい冬の法隆寺を訪れてきました。案の定、撮影後半からは大粒の冷たい雨に打たれ始めました。氷雨に濡れる法隆寺をご覧ください。
世界文化遺産/国指定の史跡/国宝/奈良県生駒郡斑鳩町
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Horyuji Temple is one of the oldest temples in Japan, built over 1,400 years ago. It is the world’s oldest surviving wooden structure and is a World Heritage Site. It is also a temple associated with Prince Shotoku, and is surrounded by many mysteries.
This year, 2021, will mark the 1,400th anniversary of the death of Prince Shotoku. Prince Shotoku, who was then called Umayado no Oji, who has been the topic of much discussion in recent years, I visited Horyuji Temple in the winter, when the clouds were dark. Sure enough, in the latter half of the video shoot, we started to get hit by heavy, cold rain. Please take a look at Horyuji Temple in the icy rain.
World Cultural Heritage Site / National Historic Site / National Treasure / Ikaruga Town, Ikoma-gun, Nara Prefecture
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●Official Site
http://www.horyuji.or.jp/
●Access info
https://www.rome2rio.com/map/Nara-Station/H%C5%8Dry%C5%ABji
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Shoot on
LUMIX GH4 / https://amzn.to/2JNV828
LUMIX G X VARIO 12-35mm/F2.8 ASPH./POWER O.I.S. / https://amzn.to/3oP18q9
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#法隆寺 #聖徳太子 #斑鳩 #ShotokuTaishi

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2016年04月20日 (水)世界最古の木造建築 法隆寺 – NHK

奈良県斑鳩の法隆寺。 聖徳太子が建立した世界最古の木造建築として広く知られています。1993年には、日本で最初に世界文化遺産に登録されまし …

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Source: www2.nhk.or.jp

Date Published: 5/3/2022

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なぜ法隆寺は世界最古の木造建築なのか?長寿の秘訣を探る

世界最古の木造建築として注目を集める法隆寺。約1300年の長い歴史をくぐり抜けてきたこの建物には、長寿の秘訣が隠されています。木造建築と聞くと …

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Source: intojapanwaraku.com

Date Published: 8/6/2021

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法隆寺- 维基百科,自由的百科全书

法隆寺,又称斑鸠寺,位于日本奈良縣生驹郡斑鸠町,是圣德太子于飞鸟时代建造的佛教木结构寺院,据 … 了金堂、五重塔;东院建有夢殿等,西院伽藍是全世界現存最古的木构建筑群。

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Source: zh.m.wikipedia.org

Date Published: 4/20/2022

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法隆寺-世界上最古老的木造建筑 – 湛山精舍

都能看得懂的法隆寺建造手绘图世界上最古老的木造建筑. 发布: 2017-09-07 11:35:15 作者: 本网转载 来源: 本网转载. Default. 法隆寺,又名斑鸠寺,位于奈良生驹斑鸠町 …

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Source: www.chamshantemple.org

Date Published: 3/1/2022

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現存する世界最古の木造建築物 法隆寺 ~長寿命を支える補修 …

法隆寺は推古15年(607年)に創建されました。その後670年に火災で焼失しましたが、7世紀後半に再建されています。法隆寺の建物のうち、五重塔・金堂・ …

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Source: plant.ten-navi.com

Date Published: 3/28/2021

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世界最古の木造建築物「法隆寺」。そこに隠された秘密を探る旅

日本最古の五重塔. 法隆寺は、奈良県北西部に位置する斑鳩町の中心にあります。JR奈良駅から最寄りの法隆寺駅までは電車 …

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Source: voicecream.jp

Date Published: 1/15/2022

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法隆寺建造手绘图:世界上最古老的木造建筑 – 佛学图集汇总

法隆寺建造手绘图:世界上最古老的木造建筑. 法隆寺,又名斑鸠寺,位于奈良生驹斑鸠町。是推古天皇13年(605年),笃信佛教的圣德太子将宫殿由飞鸟 …

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Source: slide.fo.sina.com.cn

Date Published: 1/29/2022

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世界上最古老的木造建築-法隆寺地區的佛教建築

法隆寺,別名斑鳩寺,位於日本古都奈良,擁有全世界最古老的木造建築。 聖德太子於推古天皇9年(西元601年)繼承父親用明天皇遺願而在斑鳩宮內建造,於607年 …

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Source: jct.tcymca.org.tw

Date Published: 10/6/2022

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法隆寺:世界最古老的木造建築 – 城邦讀書花園

書名:法隆寺:世界最古老的木造建築,簡介:世界文化遺產的珍寶, 屹立一千三百年佛教建築, 建築技術與智慧的完美展現。 古墳時代的結束,開啟了佛教建築的時代。

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Source: www.cite.com.tw

Date Published: 12/12/2021

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探秘法隆寺——全球最古老的木建筑_日本 – 搜狐

探秘法隆寺——全球最古老的木建筑 · 日本著名建筑史学家关野贞曾表示:中国已经没有现存的唐代及之前的木构建筑,想要研究唐代建筑必须要去日本京都和奈良。

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Source: www.sohu.com

Date Published: 2/29/2021

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  • Date Published: 2021. 8. 9.
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なぜ法隆寺は世界最古の木造建築なのか?長寿の秘訣を探る | 和樂web 日本文化の入り口マガジン

世界最古の木造建築として注目を集める法隆寺。約1300年の長い歴史をくぐり抜けてきたこの建物には、長寿の秘訣が隠されています。木造建築と聞くと長持ちしない印象を持つ方も多いでしょう。木材は焚き火の燃料になることからもわかるように、火事に弱いはず。日本は世界有数の地震大国のため、ほかの素材に比べ衝撃に弱いのではと考える人もいます。さらに日本は湿気の多い国であるので、菌が繁殖して建物が劣化するリスクもあります。それでも法隆寺は、約1300年もその姿を保ち続けています。何故こんなに法隆寺は長寿なのでしょうか。その秘密を解き明かすべく、まずはその構造に着目してみましょう。

法隆寺はなぜ世界最古?木材に注目!

illustration by Yukimasa Inamura

法隆寺の建造物で使われている木材は、非常に強度が高いと言われています。木材の中でも最高レベルの耐久性と保存性を誇る桧(ひのき)を使っているからです。そして、一般的に木材は伐採後の100~200年で少しずつ強度を増して、1000年が経過するまで強度はそれほど変わらないとも言われています。ものすごい時代スケールですよね。建築当時の柱の匂いも触った感じも、古代の人が生きていた時代のものがそのまま残っているというわけです。とても歴史のロマンを感じます。

法隆寺の地震対策に注目!

地震対策にも着目してみましょう。現代建築ではよく耐震構造(地震に耐える構造)という言葉が使われますが、法隆寺はまた異なる構造が見られるようです。法隆寺の五重塔では、各階がゆるくつながっているだけで、地震の振動が伝わるとその波に乗るように建物が動く仕組みになっています。また、中心に「心柱(しんばしら)」があるため、倒壊するほどの横揺れにもなりません。自ら揺れることにより地震による倒壊を防ぐという構造になっており、自然の摂理に抗わない建築とも言えるでしょう。現在では、東京スカイツリーでもこの技術が応用されて使われているようです。

建築技術の伝来

版画に描かれた法隆寺(平塚運一作)。出典:シカゴ美術館

法隆寺の建物の仕組みについて触れましたが、その法隆寺を建てた人々についても触れておきましょう。実際に建造に携わったのは、6世紀に仏教伝来とともに朝鮮から日本に渡ってきた造仏工や造寺工だったと言われています。これらの人々が日本に新しい建築技術を伝えたとされており、石の上に柱を置いたり、屋根を瓦で葺いたりする技術を伝えたとも言われています。ただ、どのような技術を持った人々であったかは定かでない部分も多いです。掘立柱の住居が一般的だった当時の奈良の人々にとっては、法隆寺は斬新な建築に思えたことでしょう。

その後、『日本書紀』によると天智9年(670)には、法隆寺が一屋余す事無く焼失してしまったそうです。すばらしい建築が灰になってしまったのは、もったいないですね。それから約1300年間、昭和の大修理を始め様々な修理が行われてきました。その流れの中で、次世代に貴重な技術を伝える職人が居たからこそ、今でも法隆寺という素晴らしい建築が残っているのです。

法隆寺を実際に訪れて感じた力強さ

今年7月、実際に法隆寺を見に行ってきました。まず感じたのが、木の風合いが美しく、繊細な技術によって作られた建築であるということです。そして、柱と柱がしっかりとはめ込まれており、それもひとえに職人の正確さの賜物だと感じました。また、想像以上に警備員の方が厳重に見張りをしており、手入れや掃除も入念に行っているようでした。建築技術とそれを支える人々の力があってこそ、この法隆寺は今でもその姿をとどめているのです。現場を見てこそわかることがあると感じ、貴重な経験ができました。

建築技術の素晴らしさに浸る

以上のことからわかるように、法隆寺には世界最古の木造建築である理由がたくさん存在するのです。私自身も最初、法隆寺はなぜ長持ちするんだろう…と分からないことも多かったのですが、長寿の理由を調べていくうちに法隆寺の魅力を再確認できました。また、法隆寺とも構造は異なりますが、日常でよく見かける家や寺社でも木造の伝統工法のものはたくさん存在します。それらは、日本古来より受け継がれてきた職人の素晴らしい技術があってこそ、今でもその姿を留めていると言えるでしょう。皆さんも法隆寺はもちろん、近所にある建物を含め、建築技術の素晴らしさに浸ってみてはいかがでしょうか。

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历史 编辑

金堂 大讲堂 中门 圣灵院 推古天皇9年(601年),圣德太子在斑鸠地区建立斑鸠宫,在其附近建立了法隆寺。金堂“东间”内安置的铜造药师如来坐像(国宝)的光背铭记有如下的记述:“用明天皇为祈祷自己病愈而起誓建立伽蓝,但是用明天皇不久之后去世,继承其遗志的推古天皇和圣德太子在推古天皇15年(607年)完成了佛像和寺院的建立”。但是,正史《日本书纪》上虽然载有其后的670年火灾的纪录,关于法隆寺创建没有任何的记述。另外相传是百济工匠把来自中国的佛塔和木结构传到日本,并修建了法隆寺。 关于前文中的金堂药师如来像,在昭和8年(1933年),福山敏男 (页面存档备份,存于互联网档案馆)提出以下疑点: 佛像的样式及铸造技法上推测实际的制作年代应该是7世纪后半叶 607年时,日本是否存在药师如来信仰? 铭文中的用语不似当时 由此推断,雕像并非铭文所记为607年铸造。另外,金堂中央安置着记有“623年止利为圣德太子求冥福所造”等内容的光背铭的释迦三尊像,比这更为古老的药师如来像(如果它确实是在607年被铸造的话)却没有被安置为主佛,而是在‘东间’被设为侧侍佛,也是不合常理之处。[1] 虽然存在诸多不明之处,但是法隆寺的创建时代,可追溯到7世纪前半叶圣德太子在世时这一点,通过发掘调查等已经得到了肯定。皇极天皇2年(643年),苏我入鹿袭击山背大兄王之际斑鸠宫被焚,法隆寺却幸免无事。 日本书纪卷27载:“夏四月癸卯朔壬申 夜半之后 灾法隆寺 一屋无馀 大雨雷震”(天智9年670年法隆寺被彻底焚毁没有一间房间存留)。关于此记事的真伪,有人以为,现存法隆寺西院伽蓝仍是圣德太子创建时的原物;另有观点认为,670年火灾后,法隆寺进行了重建。这两种观点针锋相对引发了“再建/非再建争论”。另外,通过发掘调查以及建筑用材的采伐年代的科学调查推断,现存法隆寺西院伽蓝是670年火灾后重建。 但是,皇极天皇2年(643年)上宫王家(圣德太子家)灭亡后,由谁主持的西院伽蓝再建等众多谜团仍未解开。火灾前的旧伽蓝即“若草伽蓝”并非位于现存西院伽蓝位置,而是在隔得很远的东南方向。另外,现存西院伽蓝几乎是照南北方向中轴线建立。与此相对,旧伽蓝的中轴线是朝西北方向大幅度倾斜的。再者,现存西院伽蓝的土地是挖山脊将两侧山谷填埋平整而成,为何动用大规模土木工事将伽蓝位置方位进行变更,仍不得而知。 再建时期虽然没有明确的记录,从现存西院伽蓝的建筑,细部的様式等来看,金堂年代最为久远,推测为7世纪末,持统天皇时期建立。五重塔年代稍后,中门、回廊的建立又在其后。据《法隆寺伽蓝缘起并流记资财帐》记载,中门的仁王像和五重塔初层安置的塑造雕刻群是和铜4年(711年)所制作,据推测,这一时期西院伽蓝全体已经完成。另外,平安时代的《七大寺年表》上也记载了和铜年间法隆寺建成。 以八角堂的梦殿为中心的东院伽蓝,是天平10年(738年)行信僧都为怀念追忆斑鸠宫旧地的圣德太子而建。 延长3年(925年)西院伽蓝的大讲堂、钟楼烧毁,永享7年(1435年)南大门烧毁,虽然几度遭遇这样的火灾,但幸运的是未曾有过烧尽全山的大火灾,建筑、佛像等各时代的众多文化财产得以保存至今。 庆长年间(17世纪初)的丰臣秀赖,元禄至宝永年间(17世纪末—18世纪初头)江户幕府的5代将军德川纲吉的生母桂昌院等人对伽蓝进行了修建。 近代以后,受到“废佛毁释”的影响,寺院的维持变得困难,1878年(明治11年)管长千早定朝决定将圣德太子画像(唐本御影)等300余件宝物献纳当时的皇室,获得了一万元的赐与。这些宝物被称为“法隆寺献纳宝物”,其中大部分被东京国立博物馆的法隆寺宝物馆保管。 1934年(昭和9年)开始了“昭和大修理”对金堂、五重塔等诸堂宇进行了修理。“昭和大修理”长达半个世纪,即使在第2次世界大战中也未停止,1985年(昭和60年)举行了完成记念法事。此间,1949年(昭和24年)落架(修理解体)工作中金堂发生火灾,金堂初层内部柱子和壁画被烧毁。依此为契机制定了“文化财保护法”。 1981年(昭和56年)通过‘昭和资财帐调查’,对寺内庞大的文化财产进行了再调查,有诸多新的发现。调查的成果‘法隆寺の至宝-昭和資財帳’由小学馆发行。

建筑 编辑

法隆寺七大不可思议 编辑

法隆寺的七大不可思议主要可归纳为以下七条,但是寺院没有具体正确的记录、七大不可思议这样的说法开始于江户时代。 法隆寺伽蓝内蜘蛛不结网,鸟雀不拉粪。 实际上伽蓝内不可能完全没有蛛网鸟粪。这有可能是院内僧众希望法隆寺保持清静的良好愿望的一种表现。 南大门前有一块称为鲷石的大石 南大门阶梯下的地面埋有鱼形的大石。据说不管下多大的雨,雨水也不会漫过石头,可能含有希望鱼(或者水)只到此处打止之意。 五重塔上的九轮插有四把镰刀 一说镰刀是为了封住圣德太子怨灵而设,还有一种说法是祈求防止雷击。这可能受到中国古来五行说影响、五行中雷属“木”,镰刀属“金”。金克木,所以用镰刀镇雷。此外还传说如果看到镰刀向上为丰年,向下为荒年。 法隆寺中有三个伏藏 伏藏就是地下的仓库,这是法隆寺破损时,为再建而暂时存放财宝的地方。分别位于金堂东北角、经藏内、回廊南西角,被石盖覆盖。 因可池内青蛙都是独眼 位于连接西院伽蓝与东院伽蓝的石板路的附近的因可池,在古代曾建有圣德太子居住的斑鸠宫。据传圣德太子在学习的时候因为蛙声太吵而用毛笔点了青蛙的眼睛一下,从此此池中的青蛙都只有一只眼睛了。 梦殿的礼盘(僧人用座台)背面出汗 梦殿救世观音像前的礼盘。毎年2月将这个礼盘暴晒,根据蒸发出的水汽多少预测一年的粮食收成(日语称做‘梦殿のお水取り’)。 地面没有排水口 实际排水口是有的,这一说法估计是为了表现法隆寺排水好地盘好。

法隆寺献纳宝物 编辑

法隆寺的影响 编辑

在日本佛教中的地位 编辑 法隆寺是圣德太子创建的南都七大寺中的一寺,是佛教传入日本时修建的最早的一批寺院之一,成为其后日本佛教兴盛的基础。据传比同为圣德太子所创建的大阪四天王寺的建成要晚约20年(具体已无从考察),但是作为一处日本现存年代最为久远的古刹,法隆寺在日本佛教寺院中拥有极其特殊与崇高的地位,堪与奈良东大寺齐名,是众多日本佛教徒的朝圣之地。 法隆寺的正式名称是法隆学门寺,正如这一正式名称所述,是一处佛教教学的道场。法隆寺宗派在中世称为“三经宗”或“太子宗”。在此以前主要研究的是法相、律、三论等学派。特别是到了镰仓时代,圣德太子撰述的胜鬘经、维摩经、法华经得注释书“三经义疏”备受推崇、合“三论宗”、“法相宗”、“真言宗”、“律宗”成为四宗兼学之寺。明治五年,太政官布告建议“真言宗”、“净土宗”等大宗派统合,结果法隆寺一度被“真言宗”所辖,法隆寺与兴福寺传统上成为共通信仰“法相宗”的寺庙。现在法隆寺宗派上现在是圣德宗本山,但是1951年(昭和26年)之前,法隆寺是与兴福寺、药师寺、清水寺(清水寺在这一年也脱离法相宗自立北法相宗)同属法相宗的寺院,从此法隆寺脱离了长期有藤原一门为后盾的兴福寺的支配。作为圣德宗独立以后,作为法隆寺下属分寺的有中宫寺、法轮寺、法起寺等合计二十九寺。 法隆寺的美学影响 编辑 法隆寺在伽蓝配置上,可以称得上创造出了日本独自的新的美学意识。 比法隆寺更古的伽蓝配置样式有飞鸟寺遗迹、四天王寺等,拿飞鸟寺来说,从中门进入后塔配置在中心位置,周围有三金堂环绕,四天王寺的塔与金堂在寺院的纵轴上呈左右对称的配置。上记二寺与百济,高句丽发现的寺院遗迹配置极为相近,称不上日本的独特创意,但是法隆寺将塔与金堂在寺院横轴上配置成左右非对称形态,不但是在日本开先河,而且现在已经定型为一种日本独创的法隆寺式伽蓝配置,至今对日本寺院配置产生显着影响。 法隆寺金堂以及回廊立柱造型系梭柱,即上下卷杀造(柱子中间鼓起上下逐渐变细),此式梭柱系源自古希腊、古埃及,在南北朝时期传入中国,成为中国南北朝时期的柱形,如义慈惠石柱、河南嵩岳寺塔、山西大同云冈石窟等皆可见,法隆寺梭柱系受中原、百济地区建筑影响所致。

与法隆寺相关的著名人物 编辑

圣德太子 编辑 601年(推古9年),圣德太子营造斑鸠宫,在政治基调上采用佛教,为日本的文化进步与佛教的兴隆做出了贡献。圣德太子与推古天皇在607年(推古15)完成用明天皇建寺造像的遗志。621年(推古29年)间人皇后死去,次年(推古30年)圣德太子也病倒,为太子看护的妃子膳夫人也卧床不起。此时,其他的太子妃以及山背大兄皇子等皇子、诸臣为圣德太子造等身释迦像祈福,但是膳夫人、圣德太子相继薨去。643年(皇极2年),苏我入鹿攻山背大兄皇子一族,皇子一行在斑鸠寺自杀,圣德太子一族灭亡。 圣德太子对法隆寺影响至今,现在法隆寺作为圣德宗本山,立圣德太子为开宗祖师,将圣德太子撰述的《三经义疏》奉为圣典,遵从圣德太子“以和为贵”的思想。

指定文化财 编辑

国宝 编辑 (建造物) 名称 场所 年代 特点 金堂 西院 白凤时代 位于西院伽蓝的中心拥有梭柱,皿斗・云形肘木,人字形割束等白凤前期建筑的诸多典型特征、金堂、入母屋造、带有二重裳阶,塔初层带有裳阶,高32.5米 五重塔 西院 白凤时代 中门 西院 白凤时代 西回廊 西院 白凤时代 钟楼 西院 藤原时代 桁行三间梁间二间、楼造、切妻造、本瓦葺、与讲堂回廊独立、钟楼和讲堂曾遭遇火灾 经藏 西院 藤原时代 大讲堂 西院 平安时代 创建时位于回廊之外、990年京都普明寺转移而来 食堂 西院 天平时代 属于政所含细殿 南大门 西院 1028年创建1439年再建 3间1户八脚门 西圆堂 西院 镰仓时代 八角堂、镰仓时代被台风刮倒后再建,入妻造 东室 西院 不详 僧人物品放置用 桁行十二间,梁间四间,楼造,切妻造,本瓦葺 纲封藏 西院 天平时代 政所一隅桁、行九间,梁间三间,高床、寄栋造,本瓦葺 圣灵院 西院 镰仓时代 密教寺院形式 三经院及西室 西院 镰仓时代 太子法华・胜鬘・维摩三经讲义之所 桁行7间,梁间4间,入母屋造・桁行12间,梁间4间,切妻造,本瓦葺 梦殿 东院 镰仓时代 八角堂、镰仓时代经过大改造、屋根宝珠、风铎独具特色 传法堂 东院 天平时代 残存东院讲堂、东院创建当时模样 钟楼 东院 镰仓时代 桁行3间,梁2间,袴腰付、入母屋造,本瓦葺 东回廊 东院 飞鸟时代 桁行42间,梁间1间,本瓦葺 东大门 东院 天平时代 八脚门,3间1户,切妻3栋造,本瓦葺 (美术工艺品) 名称 场所 年代 特点 铜造释迦如来及两胁侍像 金堂 飞鸟时代 铜像镀金中尊,像高86.4 cm,左尊像高90.7 cm,右尊像高92.4 cm,止利佛师作 铜造药师如来坐像 金堂 飞鸟时代 铜像镀金,像高209.4 cm,受中国南北朝时代影响,止利佛师作 木造四天王立像 金堂 飞鸟时代 木造彩色,像高133.3 cm,134.8 cm,山口大口费作 地藏菩萨立像 金堂 平安时代 木造彩色,像高173.0 cm,由大神神社移设而来 毘沙门天立像 金堂 藤原时代 木造彩色,像高123.2 cm 吉祥天立像 金堂 藤原时代 木造彩色,像高116.7 cm 药师如来及两胁侍坐像 大讲堂 藤原时代 木造漆箔,中尊像高247.2 cm,胁持像高172.1 cm 观音菩萨立像(救世观音) 梦殿 天平时代 木造箔押,像高178.8 cm,天衣曲度大,4月11日-5月5日・10月22日-11月3日对外开放 行信僧都坐像 梦殿 天平时代 脱活干漆造彩色,像高89.7 cm,东院伽蓝建立功臣 道诠律师坐像 梦殿 天平时代 塑像彩色,像高89.7 cm,东院伽蓝复兴功臣 观音菩萨立像(梦违观音) 大宝藏院 白凤时代 铜像镀金,像高87.0 cm,三面宝冠 观音菩萨立像(百济观音) 大宝藏院 天平时代 木造彩色,像高209.4 cm,受中国南北朝时代影响 圣德太子・山背王・殖栗王・卒末吕王・慧慈法师坐像 圣灵院 藤原时代 木造彩色,像高52.0~83.2 cm 描绘了圣德太子胜鬘经讲义之像, 3月22‐24日对外开放 阿弥陀如来及两胁侍像 大宝藏院 天平时代 铜像镀金,中尊像高33.3 cm,胁侍像高27.0 cm,橘夫人念持佛 释迦如来及两胁侍坐像 上御堂 藤原时代 木造漆箔,中尊像高227.9 cm,左尊像高155.7 cm,右尊像高153.9 cm,11月1‐3日对外开放 药师如来坐像 西圆堂 天平时代 脱活干漆造,漆箔,像高246.3 cm 观音菩萨立像(九面观音) 大宝藏院 唐代 木造素地,像高37.6 cm,白檀像,与金刚峰寺的诸尊佛龛都是海外传来的檀像雕刻之代表作。 玉虫橱子 大宝藏院 白凤时代 木造黑漆,玉虫翅装,高233.0 cm,绘有本生谭,錣葺 橘夫人厨子 大宝藏院 天平时代 木造黑漆彩色,高233.3 cm,宫殿95.7,47.7:35.2 cm 黑漆螺钿卓 大宝藏院 天平时代 木造高95.5,133.9:54.5 cm,面5角形,鱼子地相华门之金具 塔本四面具 五重塔 天平时代 塑像彩色漆箔17.1~98.0 cm(东)维摩诘像(南)弥勒净土(西)分舍利(北)涅槃像 回廊柱呈现出两头尖中间鼓的形态,类似 福州华林寺 大殿使用的梭柱造 柿くへば,钟が鸣るなり,法隆寺” 关于法隆寺的 正冈子规 关于法隆寺的 俳句 重要文化财 编辑 (建造物) 西院大垣

西院西南隅子院筑地

西院东南隅子院筑地

西园院唐门

西园院上土门

西园院客殿

新堂

大汤屋

大汤屋表门

中院本堂

宝珠院本堂

药师坊库里

地藏堂

上御堂

细殿 妻室

律学院本堂

福园院本堂

旧富贵寺罗汉堂

宗源寺四脚门

东院四脚门

东院南门

东院回廊

东院礼堂

东院毁殿及舍利殿

东院大垣

北室院本堂

北室院太子殿

北室院表门 (绘画) 金堂外阵旧壁画 12面

金堂内阵旧壁画 20面

五重塔初层旧壁画 18面

绢本著色五尊像

绢本著色孔雀明王像

绢本著色十六罗汉像 八曲屏

绢本著色星曼荼罗图

绢本著色圣皇曼荼罗图 尧尊笔

绢本著色圣德太子像 绢本著色毘沙门天像

绢本著色莲池图(旧舍利殿须弥坛后壁贴付) 二曲屏风

纸本著色扇面古写经

绢本著色星曼荼罗图(2004年重文指定)

绢本著色法华曼荼罗图(2004年重文指定) (雕刻) 金刚力士立像・吽形中门安置 金刚力士立像・阿形中门安置 由于指定件数较多按照安置场所加以了区分。同名文物按照像高、文物指定年度注记。 (中门安置)塑造金刚力士立像(吽形躰部木造)

(金堂安置)金铜阿弥陀三尊像(康胜作) [2] 塑造吉祥天立像

塑造吉祥天立像 (经藏安置)木造传观勒僧正坐像

(大讲堂安置)木造四天王立像

(圣灵院安置)木造地藏菩萨立像 木造如意轮观音坐像

(三经院安置)木造阿弥陀如来坐像 木造持国天・増长天立像

(西圆堂安置)木造十二神将立像 [3] 木造千手观音立像

木造千手观音立像 (地藏堂安置)木造地藏菩萨半跏像

(上御堂安置)木造四天王立像

(食堂安置)塑造药师如来坐像

(新堂安置)木造药师如来两胁士像 木造四天王立像

(护摩堂安置)木造不动明王及二童子立像 木造弘法大师坐像

(宝珠院本堂安置)木造文殊菩萨骑狮像(宝珠院所有)

(梦殿安置)木造圣観音立像 木造圣德太子立像

(传法堂安置)干漆阿弥陀如来及两胁侍像(1909年重文指定、中间本尊) 干漆阿弥陀如来及两胁侍像(1902年重文指定、西间本尊) 木心干漆阿弥陀如来及两胁侍像(东间本尊) [4] 木造梵天・帝释天立像木造四天王立像 木造药师如来坐像 木造释迦如来坐像 木造弥勒佛坐像 木造阿弥陀如来坐像

木造梵天・帝释天立像木造四天王立像 木造药师如来坐像 木造释迦如来坐像 木造弥勒佛坐像 木造阿弥陀如来坐像 (北室院本堂安置)木造阿弥陀如来及两胁侍像(北室院所有)

(大宝葬院所在) 金铜药师如来坐像(传西圆堂药师如来胎内佛)木心干漆弥勒菩萨坐像 木造文殊普贤菩萨立像(传六观音之内) 木造日光月光菩萨立像(伝六観音之内) 金铜観音菩萨立像 [5] 金铜观音菩萨立像3躯 [6] 塑造梵天・帝释天立像 塑造四天王立像 厨子入木造圣德太子坐像圆快作 厨子入铜板押出阿弥陀三尊及僧形像・铜板押出如来及两胁侍立像(板扉贴付)・铜板舟形后屏(铜板押出天盖付) 砖制阿弥陀如来及胁侍像 木造伎乐面1面 木造舞乐面35面 木造行道面(圣灵会所用)10面 木造菩萨面3面

金铜观音菩萨立像3躯 塑造梵天・帝释天立像 塑造四天王立像 厨子入木造圣德太子坐像圆快作 厨子入铜板押出阿弥陀三尊及僧形像・铜板押出如来及两胁侍立像(板扉贴付)・铜板舟形后屏(铜板押出天盖付) 砖制阿弥陀如来及胁侍像 木造伎乐面1面 木造舞乐面35面 木造行道面(圣灵会所用)10面 木造菩萨面3面 (大宝蔵殿所在) 木造千手观音立像 木造弥勒菩萨坐像 木造弥勒菩萨半跏像 木造药师如来坐像 木造释迦如来坐像 木造阿閦如来坐像 木造阿弥陀如来坐像(像高92cm、1906年重文指定) 木造阿弥陀如来坐像(像高34cm、1906年重文指定) 木造圣观音立像(像高165cm、1897年重文指定) 木造圣观音立像(像高182cm、1909年重文指定) 木造普贤延命坐像 木造天鼓音如来坐像 木造观音势至菩萨立像 木造如意轮观音坐像 木造善女龙王立像 金铜釈迦如来文殊菩萨像一座(戊子年铭) 铜造観音菩萨立像(传・金堂药师如来胁侍)2躯 木造光背 金铜僧德总等造像记(甲午年铭) 木造追傩面3面

(其他) 木造阿弥陀如来坐像(东京国立博物馆寄托、1909年重文指定) 金铜释迦如来立像(1910年被盗) (工艺品) 铜水瓶

铜壶(香水壶)

金铜钵 3口

金铜装唐组垂饰残阙

无文磬 铭东院

金铜云形磬

金铜火舍

金铜花瓶

金铜法具类 一具

鋳铜六器 盏一口欠缺 12口

铜锡杖

铜锡杖(轮顶五轮塔) 铜锡杖(轮顶宝瓶)

铜钟(西院钟楼)

铜钟(东院钟楼)

木造天盖(金堂)3个

鼍太鼓 一对

木造钲鼓台 附舞台 3基

黑漆华形大坛

黑漆布萨手洗2口・黑漆布萨花器1口・铜水瓶3口

黑漆六角厨子

石灯笼(西院伽蓝内所在)

蜀江锦 3面 (书迹典籍、古文书、历史资料) 《大慈恩寺三藏法师传》 卷第一、第七、第九

《大方广佛华严经》 卷第四十二

附法传 残卷(敦煌出土)

《弥勒上生经疏》 上卷

《大唐西域记》(卷第二、十二欠)

《大般若经》 写经四百七十卷 版经百三十卷

《版本成唯识论述记》(卷第十末写本)

《崇俊塔铭》

《惠沼神塔碑》 李邕撰 七大寺巡礼私记 残卷

法隆寺一切经 890卷

法隆寺缘起白拍子

法隆寺文书 1卷

法隆寺领播磨国鵤庄绘图 嘉历四年卯月日

木造百万塔(百万小塔100基 十万节塔1基 一万节塔1基) [7]

十七条宪法板木

调布

法隆寺枡 2口

参见 编辑

注释 编辑

外部链接 编辑

現存する世界最古の木造建築物 法隆寺 ~長寿命を支える補修技術~

法隆寺は奈良県生駒郡斑鳩町にある聖徳太子ゆかりの寺院です。現存する世界最古の木造建築物として、飛鳥時代の姿を現在に伝えています。

朝鮮から伝わった建築技術

日本に仏教が伝わったのは、6世紀半ばです。仏教の伝来とともに、朝鮮半島から「造仏工」「造寺工」らが渡ってきました。そして、6世紀末には飛鳥寺や四天王寺などの本格的寺院の造営が始まりました。このころ朝鮮から日本に持込まれた建築技術は、それまでの日本にないものであり、壮大で異国的な美しさがありました。

法隆寺の建立

法隆寺は推古15年(607年)に創建されました。その後670年に火災で焼失しましたが、7世紀後半に再建されています。法隆寺の建物のうち、五重塔・金堂・中門・回廊の四つが現存する世界最古の木造建築物です。伽藍の中心である金堂は693年には再建していたとみられます。金堂、中門、回廊の柱には、エンタシスの柱が使用されるなど、飛鳥時代の様式を現代に伝えています。

1993年には、「法隆寺地域の仏教建造物」がユネスコの世界遺産に登録されています。

法隆寺に使われている桧(ひのき)

法隆寺の西側には宮大工が代々住み、技術を受け継ぎながら修繕や点検を行ってきました。近代以前では、13世紀、17世紀初頭、17世紀末に大規模な修理があり、それ以外にも屋根瓦の葺き替えなどが行われてきました。

近代では、第二次世界大戦を挟んで1934年から1985年まで昭和の大修理が行われました。すべての木材をいったんバラして、傷んだものを差し替え、再度組み立て直しました。

修理を行う宮大工は、金堂や五重塔の木材がかなり傷んでいるように見えたため、ほとんど新しいものに変えなければならないと予想していました。しかし、古びた柱を解体してカンナをかけると、その木材は、生の桧の香りが漂うほどの状態であったといわれています。実際に木材を取替えたのは、軒などの雨風に直接さらされる部分だけでした。

古材の強さを調べると、桧は木材の中で耐久性や保存性が最高レベルであり、伐採してから200年間は強くなり、その後1000年かけて徐々に弱くなるといわれています。法隆寺では、樹齢千年以上の桧が使われていることも長寿命につながっています。

長寿命を支える建築工法と補修技術

日本は高温多湿なため、木造建造物は常に、腐朽・蟻害、雨風などによる劣化の危険にさらされています。しかし、法隆寺の補修で取替が必要になったのは、柱の根元・軒先・屋根材料・基礎などの末端部分がほとんどでした。劣化している柱は根継ぎ法で修理し、その他の部材は矧木や継木によって新材への取替えを最小限にとどめることができました。その結果、法隆寺では、建物の骨格部分と内部には当初の木材を残すことができています。そして、取替えでも同一樹種、同一形状にすることで、かつての美しい姿を現在に残すことができています。

このように部分的な取替が可能なのは、日本の木造建造物の柱や梁が継手・仕口によって接合されているためです。これが、当初の技術や部材を生かしたまま建物を解体し、修理することを可能にしています。日本の木造建造物は、最初に建てる時に、後の解体修理を想定してつくられていたということなのです。

木造建造物は、劣化しやすい建築物ですが、適切な管理と修理を行えば、大きく変えることなく長期にわたって使用することができます。このことを法隆寺が証明しています。

【用語解説】

■法隆寺の五重塔の構造

五重塔は、高さ約32メートルで、檜(ひのき)が使用され、「積み上げ構造」といわれる建築様式で建てられています。塔の真ん中には、一本の柱がありますが、これは各階とは切り離されており、各階が単純に重ねてあります。そのため、地震の際は、各階が互い違いに揺れて、振動を吸収する構造になっています。この建築技術は、現代の最先端建築である東京スカイツリーにも採用されています。

■造仏工・造寺工(ほとけつくるたくみ・てらつくるたくみ)

造仏工は、仏像、仏画の制作を行う人であり、造寺工は、寺院の建築を行う人です。577年に敏達天皇の特使として百済に派遣された人物が、経論の他に造仏工、造寺工などを伴って帰国しています。

■伽藍

僧侶が集まり修行する清浄な場所のことであり、寺院の主要建物群を意味しています。伽藍を構成する建物として、山門、本堂、仏塔、講堂、庫裏、食堂、鐘楼、などがあります。

■エンタシス

円柱を下部から上部、または中部から上部にかけて細くした形状です。エンタシスの柱を下から見上げると、真っ直ぐに安定して見えます。古代ギリシャ発祥の建築方法であり、巨大建築物の柱に多く用いられています。法隆寺の柱にも用いられていますが、古代ギリシャとのつながりは証明されていません。

■矧木・継木

矧木は、木目に沿って幅方向に矧いで、つなぎ合わせる方法です。継木は、長さ方向に新しい材料で継ぎ足すことです。

世界最古の木造建築物「法隆寺」。そこに隠された秘密を探る旅

見上げた姿も美しい。日本最古の五重塔 法隆寺は、奈良県北西部に位置する斑鳩町の中心にあります。JR奈良駅から最寄りの法隆寺駅までは電車で10分あまり、大阪からも電車1本で行くことができ、約30〜40分(JR難波〜法隆寺)で到着します。駅から法隆寺へは徒歩約20分、門前までのバスも出ています。 法隆寺の敷地面積は約18万7千平方メートルあり、搭や金堂を中心とする西院伽藍と、夢殿を中心とした東院伽藍に分かれています。境内には飛鳥時代(592〜710年)をはじめとする、粋な木造建築が軒を連ね、日本古代の建築美を間近に見ることができます。 法隆寺の金堂がある西院伽藍のシンボルとしてそびえ立つ、五重塔。正面からの姿は凛々しくも迫力があり、下から見上げると均等に並んだ木々が芸術的で、屋根の裏側までも美しい「搭」です。 「搭」とは釈尊の遺骨を奉安するためのもので、「仏塔」とも呼びます。仏教寺院において最も重要な建物とされており、五重塔も仏塔形式の一つになります。また五重塔は下の階から「地」、「水」、「火」、「風」、「空」と、五大(古代インド哲学や仏教において、万物を構成するとされる5つの要素)を示しており、仏教的な宇宙観が表されていると言われています。

イラスト:PIXTA

時空を超えて伝わる、法隆寺の七不思議 ある地域や場所において伝えられる不思議な現象を「七不思議」と言いますが、じつは法隆寺にも南大門の前にある魚の形をした大きな踏み石の存在や、境内の池に住む蛙はすべて片目だという言い伝えなど、「法隆寺の七不思議」と呼ばれるものがあります。 その一つに「五重塔の九輪の鎌」があります。五重塔の屋根には、9つの輪を串刺しのようにした形の九輪(くりん)と呼ばれる飾りが建っています。この九輪をよく見ると、鎌が4本付いているのが分かります。かつては「鎌が勝手に動く」と言われたこともあったようですが、この鎌は聖徳太子が怨霊封じのために付けたという説もあります。実際には雷よけと言われています。でも本当に不思議です。鎌の付いた九輪は他の寺院にはなく、「なぜ付けられたのか」と想像するのも楽しいでしょう。 また、西院伽藍の廻廊でひと際目を引くのが、上と下の部分が徐々に細くなる「エンタシスの柱」です。古代ギリシャ時代につくられたパルテノン神殿の柱と同じだと言われていますが、法隆寺の柱は日本独自のものと考えらえています。当時の宮大工の思慮深さと、優れた技術に驚かされます。

見どころは満載。

細部にまで行き届いた高度な技術もまた魅力 現存する木造建築としては世界最古のものとして知られている、法隆寺の五重塔。この最下層内部の東西南北それぞれの面には、奈良時代はじめに造られた塑像(そぞう:粘土や石膏を材料として作った像)群があるのをご存知でしょうか。釈尊の入滅や弥勒菩薩の説法などの場面が表現されており、その顔は細やかで、人間味あふれる表情のため、目が奪われます。 飛鳥時代の姿を現在に伝える法隆寺。世界最古の木造建築物として見るだけでなく、実際に木に触れてみて、ぬくもりや先人たちの素晴らしい技術力を感じるのも楽しみ方の一つです。 派手さはありませんが、来る人をやさしく包み込むような、堂々たる存在感を放つお寺です。1300年という長い歴史を辿ってきたロマンを感じながら、歩いてみるのはいかがですか。

法隆寺 :世界最古老的木造建築

內容簡介

世界文化遺產的珍寶, 屹立一千三百年佛教建築, 建築技術與智慧的完美展現。 古墳時代的結束,開啟了佛教建築的時代。其契機肇始於西元五九二年推古天皇即位,旋立聖德太子為皇太子,並頒布信奉佛教的詔令,於是貴族競相興建寺廟。過去為崩殂天皇、祖先所蓋的古墳,也改為興建寺廟。 推古天皇十三年(西元605年),篤信佛教的聖德太子將宮殿由飛鳥遷移至斑鳩之地,並於兩年後為用明天皇建造佛寺「斑鳩寺」。斑鳩寺同時有個中國式名字「法隆寺」。 法隆寺於天智天皇九年(西元670年)毀於祝融,直到天武天皇於西元六七二年即位之後,才由法隆寺僧侶與膳氏家族負責推動重建計畫,延請百濟和高句麗工匠的後代建造寺廟,造寺工從寺廟附近的生駒山砍伐上等檜木為建材,在眾人齊心協力之下,一座以金堂為主的木造建築於天武天皇八年(西元679年)再度完整呈現。天武天皇同時宣布所有寺廟都要改用中國式名字,從此斑鳩寺就正式稱為「法隆寺」。時至今日法隆寺堂塔已屹立一千三百餘年,成為世界最古老的木造建築。 法隆寺的價値並非只是古老,而在於歲月淬煉的古代日本建築技術和智慧。本書作者西岡常一是日本著名的「宮大工棟梁」,曾在西元一九三四年至一九五四年參與法隆寺的「昭和大整修」,對這已列入世界文化遺產的木造建築非常熟悉;加上建築史學家宮上茂隆的專業剖析,以及建築科班出身的插畫家穗積和夫的精緻插圖,讓讀者在文字淺顯、插畫生動的書頁中輕鬆了解一千三百年的建築精華!

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